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今回の様々なインタビューの集大成であるような...
インタビュー記事です^^






MOVIST.COMという映画情報サイトでのインタビュー^^
↑メインHPでもユリちゃんがでで~~んといい位置に出ていてチョアチョアです^^

20091029-008.jpg

で....長い記事ではありましたが翻訳を一応してみました。
ざざざっと短時間にしたので上手く校正できていないのですが....
何とか読み取っていただければと思います。

翼(はね)を捨てて人生を満たす。<うさぎとリザード>ソン・ユリ
2009年10月28日水曜日ミン・ヨンジュン記者

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映画はいつ初めて見たか?
今年釜山(プサン)で初めて見た。


クランクアップ以後で長い時間が過ぎてしまってから映画が開封されていたのに待たれていないのではないか?
撮影する間監督様がモニターをあまり見られないようにされた。
それで私自らもとても気がかりなことが大きくなった状態で映画を見たためなのか新しい面も見られてあの時は私があんな感情で演技したという気がして新鮮だったよ。
題名から意味に対する好奇心を呼ぶ作品だ。

初めてシナリオに接した時,どんな感想を得たのか気になる。
ひとまず目新しい話とこれを監督様が果たしてどのように表現やり遂げられるのか,そしてもし私がメイを演技したらどんな絵が描かれるのか,気がかりで始めた。
常に私に入ってきたシナリオととても他の流の映画であり既に私がしてきたキャラクターと相反した面もあって好奇心をもって開始できたようだ。

チュ・ジホン監督は演技的な要求が多いほうだったか?
シナリオ上ではディテールある設定が多かったがひとまず現場に出てくればどんなのが気楽かと尋ねられたりした。
俳優らに最も安らかな現場で最も率直な感情を引き出せるといわれた。

韓国に来たメイが叔母に自身をなぜ米国で行かせたのか問い詰める。
単純にメイが米国に送られたことに対する不満を叔母に吐露することだと見ることもできるだろうが一方で米国生活で体験した困難があるからそのようなくやしさが発生したことでないのかと推測することもできる。
だが映画ではメイの米国生活に関して決して描写しない。
俳優では少し苦しいこともある部分ではないかと思うのだが。


シナリオ読みながら,監督様と最も多い対話をした部分がその叔母との対話であった。
ひとまず監督様はメイ自らそれが叔母のあやまちでないというのを明確に認知していなければならないとおっしゃった。
単に叔母に対する願望の表出でなくその間積み重なった痛みを世の中に表出することといったよ。
それが叔母に対する願望として描かれてはいけないから明らかな嗚咽のような新派的表現が動員されてもならなかった。
そのような感情をよく節制して見せるのが私の宿題だった。
それでこのシーンを撮影してまた撮影してみたいと話を差し上げると監督様はこれが良いと,100%とされたことだ。
その時少し惜しかったのに後ほど編集されたことを見れば監督様が満足されたその線が合ったということを感じた。
メイが米国で体験した人生や養父母との関係に対しても監督様にお尋ねした。
すると,過度に愛を受けて育った子供ではなくても虐待でも冷遇されて育った子供でない,普通家庭の平凡な幼年を送った子供だが,常に捨てられたという痛みを持ったまま韓国に住んでいる両親を考える子供だとおっしゃったよ。
他の人々と違った痛みのために常に自らが壁を作って自ら自身を疎外させる感情を見せなければと。

メイはだいぶヒステリックなキャラクターだ。
単純に機能的にキャラクターの性格を作るとしてもその情緒に自ら影響を受けないわけにはいかなかったことだ。

そんなにヒステリックな部分もそうだがメイが常に持っている苦しさが私を疲れさした。
メイが幼い時期から感じた苦しさは韓国にくれば解決できると信じたのに実際に来てみるからどんな解決策や突破口がないという苦しい感じが演技をしながらますます私にも転移するといわなければならないのか?そのように感情移入になりながら,時々ずつは撮影が終わって寝ようとベッドに横になってもその気持ちが解消されなくて大変だったのを思い出す。

そのような状況から抜け出すためのそれなりの努力もあったはずなのに。
3日間セット場でセリフが一言もなくて,一言しなくてずっと苦しい気持ちで演技しなければならない時があった。
ところで3日目なる日とても苦しかったよ。
暗くてうっとしいセット場にあって見たら外は日差しが映る昼間ということを忘却するほどメイの感情に陥っていて見たらこうではだめであるように見えた。
それでセット場物を蹴飛ばして陽光の下で30分程度座って,心を治めたことがある。(笑)

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大きい事件らが繰り広げられるよりは二人の男女の感情的衝突と交感が重要な映画だったからチャン・ヒョク氏との呼吸が重要だったようだ。
本来知って過ごした間ではなくていけないか?自ら親しみを形成する過程が必要だったようだ。

会社が同じで行き来しながら挨拶する間でもあったが,以前に私に若干の先入観があったようだ。
感性的な部分よりは理性的な部分が強いと思うという感じ?マッチョ的な感じも強いと考えたし。
ところが実際に共に演技をしてみれば感受性が鋭敏で作品に対する熱意も強かった。
序盤には監督様がチャン・ヒョク氏と親しく過ごすなと話して,(笑)初めにはかなりぎこちない間であった。
ところで映画の流れのようにますます親しくなってみるから私が知らなかった魅力らが一つずつ発見された。
個人的にはチャン・ヒョク氏の再発見?

自らがチャン・ヒョク氏に対する先入観を持って話したようにあなたの先入観を持った誰かもいることだ。
特にアイドル歌手出身演技者らに大衆は冷たい視線を送る場合が多い。
最近<ヒザ打ち道士>で涙を見せたのもそのような背景で得た傷ではないかという気がする。
大衆の指差しが荒いほど自ら演技をよくしていかなければならないという責任や強迫も大きくなることだ。

以前には私に対する先入観を破りたくて認められたいという漠然とした考えが大きかったようだ。
ところである瞬間演技が本当に好きになって私が演技ができる環境自体に感謝を感じるようになった。
そのためかこの頃は私を見る方々も若干変化した感じが見られるといわれるようだ。
その間私がのがしていた部分がこういう心ではなかったかという気がした。

最近放映した<太陽を飲み込め>が,本人の8番目ドラマ出演作だった。
主演キャラクターを繰り返し受け持ってきているのに作品の顔として全面に浮び上がるのが負担になる時はなかったか?

初めには初めてだから見てやるのがあるがある作品ずつしていってから大衆の批判もさらに鋭くて冷静になるのが感じられる。
それだけ責任感も大きくなるようだ。
特に作品ごとに6~70人程度人員らの労苦が入れられるのに私一人のためにその労苦が退色してはいけないという気がして,より一層責任感を感じる。

その間ブラウン管を通して,自身の姿を見ることには慣れたがスクリーンで自身の姿を見るのは初めてだとなじみがうすいこともあったことだ。
ひとまず監督様が微妙な感情線を希望されたのにどうしてもブラウン管演技に慣れてみるからそのような演技は何か不足したり退屈なこと同じで,この程度表現で観客らが感情を感じられるかという不安感も若干聞いた。
TVのような場合気に入らなければチャンネルを回す事もでき諸々の違ったことをしながら見ることもできるが映画はひとまずスクリーン大きさもそうですべての観客らがスクリーンに執着できる環境がいい.
そうして微妙な感情線もキャッチされて感じられるようだったよ。
監督様がなぜ私にあんな地味で感じるほどの感情線を要求されたのかスクリーンを見て知るようになった。

ドラマで俳優経歴を積み重ねたので映画現場は初めてだった。
準備期間をはじめとして,多くの面で差があったはずなのにどうだったか?

ひとまずドラマはエンディングを知らずに,はなはだしきは次の回がどうなるかも知れないまま撮影されなければならない場合が多くてのがして行く部分が多いようだ。
その上大衆の反応は即刻だと俳優立場ではより一層残念なことではないかと思う。
しかし映画はあらゆる事徹底的に準備して計算した状態で入れて,俳優にはより親切な作業現場がなるようだ。
おかげさまで私の自らも自信や安定感があったこと同じで,次の絵を描きながら,演技できたようだ。
そのような部分においてはより良かった。

ドラマは現場の雰囲気がだいぶタイトする。
反面映画はもう少し余裕があるように進行される部分があるから心理的にもう少し安定した感じがあったようだ。

ひとまずスタッフ方々のマインド自体が違うという感じを受けた。
ドラマの場合は仕方ない環境だとそうしなければならないが俳優が演技に集中できる最高の環境を作ってやるのは義務的だというよりは当然視されることだと考えるマインド自体が違った。
スタッフひとりひとりが自身のことに対するプロ意識と情熱を持ったようだ。
そのような部分は尊敬して見習うほどの点だと感じた。

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事実初めて舞台に立った時から本人もプロとして大衆前に立った。
ところがまさにプロとしての自覚ができたのは違ったようだ。

ひとまず私は初めから大衆の愛をとてもたくさん受けたので幼かった時からそのような責任感を持つことはあったようだ。
だが他の見方をすれば歌手が自身の舞台を楽しむことができなくて演技者が自身のキャラクターを愛することができないならば本当にプロらしくないことと話せるようだ。
そのためにそのような責任感が喜びや楽しみより先んじていたことのようでその幼い心を考えれば少し残念に感じられる部分中一つだ。

その年齢に享受できるものなどをあきらめなければならなかった部分も多い。
一歩遅れて残る惜しみはないか?

その当時にはそれがとても習熟したし当然だった。
恐れも多かったし,そのまま当然過ぎ去るのが気楽だった。
ところで時間が過ぎた今考えてみれば私がのがして行った部分が多いと感じられて,心が痛い瞬間がある。
平凡な人生をもう少し楽しんでこの生活をできたとすれば良かったはずなのにとしたかったり。
演技者としてもそのような経験を残せなかったという惜しみが残る。

<うさぎとリザード>は運命的関係を再確認していく男女の旅程を描いた映画だ。
過去歌手としてデビューしたし現在俳優で活動する本人の人生の中で一歩遅れて自ら運命的だった感じられる契機や過程の瞬間らが存在しはしないかと思う。
そしてそのような考えらがその人生で得た傷を耐えられる力になったかも分らない。

ポスターにこういう文句がある。
‘愛よりは傷が習熟した彼ら,お互いを知り始めた。’演技を始めた以後で演技が私に傷になり始めたし私のアキレス腱のようだという感じを受けたのにある瞬間私が演技の真の味や喜びを知るようになった過程があったようだ。
今は相変らずそれを知っていく過程でその過程を踏んでいけばある瞬間頂点に達する時期がこないだろうか。
それで今はこういう過程が大変だというよりはむしろ幸せだと感じられる面がさらに多くなるようだ。

“なぜ私が私の手を握ったのかもう分かるようだ”というウンソルのセリフのように運命というのは一歩遅れて悟るようになるのだ。
今このように俳優として生きていくのも結果論的に本人の運命である計算なのにその状況の中でどんな目標意識ができたかも分らないことだ。

あなた演技がどんなものか,という質問を受ければ常に演技は私に運命とも同じ存在と答えた。
初めには本当に私が意図しなかった状況の中で近寄ってきたしこれによって諸々の試練を受けたので抜け出したかったがそのたびに抜け出すことができないような状況が続いた。
今はそのどんなものより演技を愛さなければならなくなったことのようでこうしたのが運命ではないか考える。
演技に対する喜びを知って私の道だと確信ができただけに私の自ら演技を楽しみながら,見る人々の共感を引き出せる俳優になるのが目標だ。

人気という件あたかも時々手にあまって捨てたいが決して捨てられないメイの荷物と同じものでないかと思う。
デビュー初めから多くの人気を享受しただけにその人気の虚と実に対してもどの程度悟るようにならなかったのだろうか。

とても幼い時期から,活動を始めるやいなや多くの人々の愛を受けて人気を得たためかそのような人気に対する虚と実をとてもはやく知るようになった。
それがもちろん私に重要なことだと分かる。
ただしそれが人生の目標になってはいけない。
私に付いてきてくれれば良いが付いてきてくれることができなくてもとても気をおとすことではないというのが分かった。

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演劇映画学科に進学したのに本来から念頭に置いた選択だったか,でなければ入試的進路を控えて決めた問題だったか。
率直にその当時には学校でその時私がしたことと違った部分を習いたいという漠然とした考えがあったようだ。
それでもとても他の分野を習うのはやさしいことではないから演劇映画科を選択するようになった。
ところで事実学校に行ける機会もあまりなかった。
それで体系的な勉強もすることができなかったしそのような部分をのがして行かなければならなかったのは残念だと思う。

どうしても現場で得た経験が本人に実質的な演技的授業になっていると話しても良いようだ。
それだけの試行錯誤も経験したはずなのに,初めてカメラ前に立つ時,気持ちはどうだったか?

多分カメラに対する恐怖がなくてむしろ親しみがあるというのが歌手出身演技者の長所ではないか。
反対に私たちの家族でも,メンバーでも,マネジャーでも,習熟した人々と共に生活してきた私が一度も遭えなかった数十人のスタッフらと何月間の間共に過ごさなければならなくてその期間顔活気は多様なトラブルに適応しなければならなかったために見慣れなくて大変だった。
その上短い瞬間の舞台公演に習熟していた私に長い呼吸の演技は見慣れなくて大変なことでもあった。

舞台では短い瞬間にエネルギーを爆発させれば良いが現場ではエネルギーを配分して,絶えず放電と充電を繰り返さなければならない。
歌手が舞台に立つのが100m競走ならば,演技はマラソンのような感じだ。
その時はエネルギーを配分する方に習熟することもできなかったし下手だった。
それで演技的にもぎざぎざして論議の余地ができるようだ。
既にそういうのを学びある程度認知になった状態から始まったことでなかっただけに一つ一つ経験しながら,体得していく過程だと見るから不足しなければならなかった。

‘ピンクル’時期のおかげで相変らず‘妖精’という声をたくさん聞くようだ。(笑い)そういう話が今のあなたにどんな気持ちを感じさせるか?
その当時に私たちがそのように呼ばれたとのことがおもしろかったり,一方にはかすかな思い出になることのようだ。
おもしろい,そのまま。(笑い)

‘ピンクル’はもうあなたの人生で過去型だ。
それでもあなたの現在をいう時は常にピンクルという過去で始まる。

‘ピンクル’が大きい存在なんだな,ということを知るようになって多くの愛を受けたということを新たに感じる。
事実以前には抜け出したいくびきだったが今は‘ピンクル’があったので今の私が存在するということに感謝する。
おかげさまでもう‘ピンクル’の時と違う姿を見せたい欲張るようだったり。

歌手生活にストレスを受けて,活動を止めたいと考えたことがあったか?
ピンクル活動しながらも,そのように考えたし,歌手出身演技者として絶えず非難を受ける時ごとにそのような峠があった。

大衆の非難に常に対応することにはならない役割だ。
だがそれに対する心境を吐露するのも時々必要なことではないかと思う。
最近<ヒザ打ち道士>で涙を見せたりもしたのにもしかしたら本人に非難を投げた不特定多数の人々中その映像を通して,申し訳ない思いを抱いた彼らもいることだ。
いちいち抗弁したり弁解することにはならないが真心を表わすのが時には良い疎通方式になる時があるようだ。

一度私が知るある方にこういう話らに対してみな釈明したい,とするとその方が私におっしゃったよ。
“この職業を持った以上,絶えず論議の対象になって,問題になったり,誤解を受けられる環境に露出して住まなければならない。
そのような誤解と物議と各種デマに対して君が皆一つ一つ釈明できるならば今から始めろ。
しかし君が釈明できないそのようなデマや誤解らは事実になってしまう。
どんなものを選択することか。”
私に国民皆の誤解とデマを一つ一つ釈明する能力はない。
それで時には沈黙する方も習わなければならなくて,そのように見ればいつか真実ははっきりと明らかになるようだ。
もし機会あって,釈明する機会になれば釈明する事もできるし。
そして今はそのような知恵が若干できたようだ。

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‘ピンクル’時期共に活動した他のメンバーらも多様な分野で各々活動を繰り広げている。
共に活動を始めた時期から10年ほど歳月が過ぎたのに今どんな感慨というだけのことはあったのがあるか?

常にネットにあって一人になった時は各自本人の分野で席を占めるために激しく孤軍奮闘したという感じがする。
今は各々本人の分野を楽しむことができる余裕が見られるようだし,各自分野で皆認められていることのようで良い。
私が一番幼くて,幼い時期を共に送った姉妹のような感じを受ける時があるのに姉さんら誰一人抜けなくてうまくいく姿を見れば満たされて誇らしい。

この頃新しい10代アイドル グループが多いがそのような後輩等を見ながら,以前考える時はないか?
私はその当時に私たちのファンらが私たちの歌やイメージが好きだから私たちが好きなことと考えたのに今その幼い友人等を見ながら,単に幼いということだけでも新鮮で可愛い魅力があるとのことを知るようになった。
もちろん各自個性も明確で才能も優れるがその年齢同じ年頃らだけ享受できる魅力があるようだ。
私が幼い時期にあんな姿であったか,考えるようになれば新しくて珍しく思ったりする.(笑い)

<うさぎとリザード>は一歩遅れて探した運命的相手に対するメローだ。
もうデビュー初めに比べて,愛に対する観念もより深くなる年齢に入ったのに運命的な対象を探すことまではないが,(笑い)恋愛や結婚に対してより真剣に寄りついてみるほどの年齢になった。

幼い時からとても特殊な環境の中で生きてくるからかわからないが愛においては在り来たりを追求するようだ。
平凡に愛して,平凡に会って,平凡に生きたい,そのような希望がある。

<皇太子の初恋>でチャ・テヒョン氏と呼吸を合わせた。
<うさぎとリザード>でもチャ・テヒョン氏が出演するのに本人と呼吸を合わせるシーンはなくて会うだけのことも書いたようだ。

事実屋台シーンで共に出てくる場面があったのに監督様がウンソルとメイの感情に没入したいと編集された。(笑)

去る作品に共に出演した俳優と新しい作品で会うのは本人に幾つにもならない経験だ。
そして時間がたくさん過ぎた後に会ったという点も特別な感想を与えなかったか?

20代半ばの私が会ったテヒョン兄さんと三十をながめる今の私がながめるテヒョン兄さんは本当に多く他の人のようだったよ。
そしてテヒョン兄さんももう結婚したし子供もいるだけにより成熟した感じがするから新しかったりそれだけ情感も行った。

たった今話した通り三十を前にして年齢なのにそれだけの恐れとときめきが交差するようだ。
ひとまず20代には諸々の葛藤や試練が多かったし私の自ら自分自身の中心をよくたてられなかったようだ。
ところで他の見方をすればそれが20代の時体験しなければならない過程だと考える。
今はどんな目標ができて中心が捕えられると感じられるからむしろ30代がもう少し期待される。
その目標にどれくらい近接できるかという期待感というか。

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最近ある他のインタビューでチャン・ヒョク氏がソン・ユリ氏を教養ある女といったよ。

(笑)あまりにもチャン・ヒョク氏が教養があって,私もそこ足竝みをそろえて,そのような姿をお見せしようと努力しただけなのに。
動的な部分よりは静寂な部分がたくさん見られるからなのではないか。

事実アイドル歌手出身だと溌刺として活発な性格だと考える人も多いことだ。
それで初めて会う人々に意外という話をたくさん聞くようになってはいないだろうか。

この頃インタビューしながら,たくさん感じるのは私がかなり溌刺として活発なイメージとたくさん考えられるという点だ。
私の自らは私がそのような姿をたくさんお見せしたという点が新しかった。

メイのヒステリックな姿だけ取り出せば本人と非常に似ていたと話せるようだ。
それで私は習熟した感情だとむしろ気楽に見たのに見られた方らは風変わりに見られた。
こういう部分が私には強力な点になることができるだろうと感じた。

<快刀ホン・ギルドン>でもいくつかのドラマで白痴美的キャラクターを演技したのでそのようなイメージで刻印された部分も多いことだ。
もしかしたらまさに自身と正反対の指向を持ったキャラクターらを演技した計算なのに自身と違ったキャラクターを演技する気持ちはどうなのか?

ところで私の中に明確にそのような部分があるようだ。
親しい友人らはそのようなキャラクターらが普段考える私と似たという話もしたよ。
相対的にどんな性格が浮び上がるか差があるようだ。
諸々の役割をしてみるならば私も忘れていた性格らが出てくる。
結局自らの再発見というか。

時々自身の演技をモニターしながら,自らも知らなかった自身の姿を発見する瞬間もあるだろうし。
昨日映画を三回目見たのに雪もようがシーンごとに少しずつ違うように出てくるのが見られた。
角度にしたがって,でなければ照明に従うからだったり,どうである時は少し上がった雪になったり反対に降りて行った雪になったり。
私も知らなかったそのような部分を見れば珍しく思ったり,ああする時はこのようにするのがちょっとこういう感情を表現するのにやさしいだろう,こういうものも知るようになって。

10年余りの間多くの人々の関心を受けながら生きてきた。
もしかしたらそのような関心の中で踏み付けられないで生き残るのは言葉どうりその人生を楽しむことができる時,可能なようだ。
その人生自体が一種の逃避先になることというか。

以前には私生活を拘束される感じが嫌いだという漠然とした感情があった。
ところで顧みれば私の私生活というだけのことはあったのがそんなに多くなかったようだ。
日常の中の私の人生は確実にスペクタクルしなくておもしろいというよりは退屈だ。
ところで演技を通して,他のキャラクターで生きていく人生の喜びを感じたので今は喜んで他の部分の犠牲を受け入れる意向ができたようだ。
そして今は最後まで守りたい私生活はどの程度守れるノウハウもできたことのようでその日常を折衝するのが可能なようだ。

20091029-007.jpg

文:ミン・ヨンジュン記者(ムービースト)
写真:クォン・ヨンダン記者(ムービースト)

元記事はこちら MOVIST.COM

原文に忠実に訳しているあまりに言葉が日本語らしからぬ感もあろうかと思います。
ユリちゃんの言葉に忠実に...と思い日本語らしい表現をあえてしておりません...
是非、掲載ページに行ってユリちゃんの生の言葉を読む事ができればいいのではないかと...
そのように感じます。
本当に...今回の映画を通してユリちゃんが描きたかった俳優像というものが一歩近づいたように思えます。
いろいろな山を越え、そして堅実な歩みを続けてきているからこそ言える言葉がこだまのように聞こえてきます。
最後の私生活の部分の話....
ファンとしては明らかに気になる部分でもありますが...
でも私生活と俳優としての線をきっちりと引く事ができているように思えて...
そういうことで左右されない強さももう既に培っているようにも感じました。
つまり....だからこそ...

もうデビュー初めに比べて,愛に対する観念もより深くなる年齢に入ったのに運命的な対象を探すことまではないが,(笑い)恋愛や結婚に対してより真剣に寄りついてみるほどの年齢になった。

このような言葉がユリちゃんから聞けるのかもしれないですね。

愛に対する観念もより深くなる....だとか
より真剣によりついてみる...

そのような表現の上手さになんだか心くすぐられてしまうようです。
今日もユリちゃんらしいインタビュー記事で...
しかもお写真も素敵なものが次々あってチョアチョアですね.....^^

テーマ:ソン・ユリ - ジャンル:アイドル・芸能




チョコさん、こんばんは♪

いやいや、大変読みごたえのあるインタビューですね。一つ一つじっくり読ませていただきました。翻訳ありがとうございます。

映画だけではなく、ユリちゃん自身や考え方を更に知ることができました。

チャン・ヒョク氏の教養あるお姿に納得してました。確かに紳士的でスマートな感じは良いですね!

【2009/10/29 23:48】 URL | マルフジ #-[ 編集]
マルちゃん~~~こんにちは~\(^o^)/

本当に毎回インタビューは楽しみですね。
一問一答形式で書かれているとなおさら嬉しいです。。。
ユリちゃんの真の姿までも最近いろいろと話してくださるのがとても嬉しいですよね。
チャン・ヒョク氏の教養...ユリちゃんもそうだけど本当に今回の映画共演は素敵な縁に囲まれているように思います。
これからの繋がりもテヒョンオッパと3人とも事務所も同じだし...共に高めあうことのできる関係のようで楽しみですね。

【2009/10/31 11:48】 URL | choco #-[ 編集]














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