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制作ノート#1~#3までをお伝えします^^
かな~~~り読み応えありますよ~~~@^^@


制作ノート#1

南ア共和国#1.<出発記>

20090630tesamuseisaku-001.jpg

<太陽を飲み込め>南アフリカ共和国現地撮影同行取材
期間:3/26~4/12(17日間)
地域:南アフリカ共和国ヨハネスブルグ,ダーバン
文取材:SBS広報チームホン・ソンジン



2009.03.26.木曜日出発#1.<出発記>
夕方7時30分仁川(インチョン)空港出発.

飛行機が予定より30分delayなって,8時になって出発することができた。
ソウルを離れる時,撮影装備重量超過でもうこれ以上の荷物を送ることができなくて装備が優先か食べ物が優先か
悩んで皆持ってきた副食らをあきらめなければならなかった。
(私たちも辛ラーメンあるボックス,キムチ,パック焼酎のせられなかったこと...ここは酒..バーにだけあってスーパーもなくて客室冷蔵庫ビールだけある斗柄?ちょろちょろ..)

シンガポールを経て,南アフリカ共和国,ヨハネスブルク(Johannesburg)に行く。
仁川(インチョン)からシンガポール,チャンイ空港まで6時間を飛行して1時間30分のover lay.
しかしやはり延着により30分さらに遅くチャンイ空港を出発した。

10時間の飛行あげくヨハネスブルクには現地時間で27日(金曜日)午前7時30分に到着することができた。



制作ノート#2

南ア共和国#2.<ヨハネスブルク到着および出征式>

2009.03.27.金曜日<南アフリカ共和国,ヨハネスブルク(Johannesburg)到着>

帰国手続後空港でバスに乗ってホテルへ向かった。
約2時間が必要として,11時30分頃にSun City CascadeHotel (http://www.sun-city-south-africa.go2africa.com/cascades.asp)に到着した。
部屋配分を受けて長い間の飛行により夕食時間までは休み時間を持った。
計算してみると仁川(インチョン)空港からここまで26時間がかかったわけだ。

<出征式>

夕食の時到着した初日でしてホテル庭園でスタッフ65人と演技者らが皆集まって,各自自己紹介をして撮影所感,日程に対して話した。
何日か前に事前ロケで先に離れたユ・チョリョン監督とカメラ,照明監督は夕方時間(現地時間19時:ソウルと-7時間差)になって会うことができた。
彼らは場所ハンティングで一日に17時間中ずっと車両に移動するのにとても疲れているように見えたが表情だけは明るくて決意はがっちりしていた。
ユ・チョリョン監督は挨拶の言葉で“財政が難しいが必ず必要な場面だからここまできたし,それで良い成果を取って行かなければならない”として“一つの心になって,心を集めて一緒にするというのが重要だ”とした。

また“個人的に難しいこともお互いに心を集めて,互いに助けながら仕上げをしよう.海外撮影は常に難関が近づく。一家族という考えで円満に解いて健康気を付けて帰ろうとしながら,船長として最善を尽くすから信じて従ってくれと”と頼んだ。

このように彼らは海外初めての撮影の決意を新たにした。

彼は引き続き“最後の撮影を終わらせて祝杯を上げる場所にしよう”として初めての航海を始める意でスローガンと一緒に乾杯を提案した。
ユ監督が“太陽を!”と叫んで,スタッフと俳優らが“飲み込め!”と答えた。



制作ノート#3

南ア共和国#3.<ジャーミストン初撮影>

05:30ホテル出発
07:30ジャーミストン(Germiston)貧民街撮影
18:30ネルソン・マンデラ ブリッジ(Nelson Mandela Bridge)撮影
20:30民俗の村(Lesedi African Lodge & Cultural Village)撮影

ホテル606号で滞在していたホン・ソクチョンは去る夜におばあさんおばけを見たせいで睡眠を一眠りもすることができなかったとし,ユ・チョリョン監督におばけの夢は大ヒットであるから夢を買えという。
門が開かれないで,コーヒーポットもならなくて,TVもならない。ホテルに問い合わせをしたところメードがきて,解決した。

明け方5時30分ホテルを出た。
明け方5時30分に出発した撮影チームは広大な大地の地平線向こう側に浮び上がる太陽をむかえながら,明け方初めての撮影の壮途に出た。

撮影地のジャーミストンには7時半に到着した。
ジャーミストン(Germiston)は南アフリカ共和国北部ヨハネスブルク東方にある金鉱都市で人口1万名程度が居住している。
未舗装道をしばらくをすぎて,本当に目で信じ難い家々が目の前に繰り広げられた。
トタン板であらまし雨が避けられる程度の二三坪余の家屋らが数千軒小さい尾根でぞろぞろ群がっていた。
前日注意事項に個別行動禁止,刺激的な行動謹んで,武装警護員配置などそれこそ戦場に取材出て行くそのような心にいっぱいおじけづいた撮影チームは強くて黒い皮膚の彼らを恐ろしくながめながら,バスからおりた。
こちらの事項を現地スタッフに聞くことができた。

人口1万名程度が居住しながら,大人たちは大部分とうもろこし農場で仕事をしながら,もらう賃金で一日儲けて,一日生きていく劣悪な暮らしであり,人口の20%がエイズ患者..電気施設もなくて水道は水桶を持って共同井戸を利用しながら,子供たちは教育も受けることができなくて貧困の相続でずっと難しい生活をしている...
熱いアフリカの太陽をむかえながら,,用心深く入った撮影..
すぐ私たちの心配はするする溶けていった..
こちらで撮影があることは村ができた以来初めて。
撮影許可条件で外部エキストラは不可で,現地住民たちを使う条件なんだよ。
だから演技は初めての子供たち,老人たちおばさんらそれこそ概略苦しい思い..

村駐車場で開かれた即席オーディション...

黒い皮膚に恐ろしく見られた彼らがそのように素朴で明るいとは...
彼らに与えられるエキストラ費用は満二千ウォン程度彼らには何日分の日当であるわけだ。
あたかも明け方人材市場のように彼らに即席演技が与えられて自分が選ばれるのを切実に,望む目ら..

撮影場は祭りの雰囲気

この日この村はほとんど祭りの雰囲気でぎっしり埋まってしまった..
この地域の人々は素朴で協調的だ。
都市貧民街もあるが田舎貧民街がもう少し情け深くて素朴だ。
人々は初めてあるドラマ撮影を興味深く見物して,これによって町内に祭りの雰囲気が回った。
ここで映画は撮影されたことがあるがドラマは初めてだ。
多分ここの人々には一生忘れられない思い出にならないだろうか??南ア共和国はドラマはほとんど製作されないで映画製作も多くないという。
選択されたエキストラの粗雑な演技彼らは演技経験がない生初歩,,だが彼よりも見物出てきた村住民の視線で数十回のNG..
本当に同じ場面を数十度..本当にこれ今日の中にすることができるだろうか???

"ヘイ!ウムボマ!!"

見物した住民たちは続くNGにホン・ソクチョンの台詞"ヘイ!!ウムボマ"をずっとしゃべって皆が演技者になった。
私たちの撮影チームだけ見れば"ヘイ!ウムボマ"が挨拶の言葉になってしまった..ヒウッヒウッ
傭兵になる<ウムボマ>は南ア共和国現地俳優中オーディションを経て選ばれたが演技力が絶対不足した状況,,
彼にソクチョンは演技指導に真っ最中..

20090630tesamuseisaku-003.jpg

6万ウォンの幸福

この日子供たちにただで食べ物を分けてあげるウムボマは傭兵にするためにこちらを訪ねて行った五人の男らのシーンだ。
この食べ物を用意した小物監督は6万ウォンでこの子供たちに食べ物を分けてあげることができた。
撮影以前にこの子供たちの腹がへることを忘れるようにしてあげられたのが何よりもうれしいとし,自身が直接らの6万ウォンの値うちを胸ジーンとするように打ち明けた..
子供たちが英語をよく理解できなくて,少し大変だった。
互いにエキストラになりたくて,デジタル カメラに写真が押されてLCD画面に自身の姿が現れるのを非常に好んだ。
子供たちは写真を撮れば互いに見られてくれとしながら,,写真を見ながら,非常にうれしがった..
(何の辺境地ドキュメンタリースローガン プログラムおしにきたようだった)
そんなに熱い太陽をむかえながら,朝ハンバーガー一つで離して泣いたアフリカでの初めての撮影はユ監督の"レディーゴー!!アクション!!"力強い声で始まった..

20090630tesamuseisaku-004.jpg

ユ監督に撮影前インタビューをした。
なぜこちら南ア共和国を選択したのか??
"ここアフリカ撮影地を物色する時,南アフリカ共和国より東北の側に位置したスワジランド(Swaziland)で積極的に支援するといってくれた。
しかし治安問題,車両移動問題で固辞されて,その他近いタイやフィリピン,ケニアも考慮したがアフリカのにおいがしなくて結局は南アフリカ共和国を選択した"とする。

#太陽を飲み込め

本当に暑くて死んだこと..午後2時までほとんどスタッフら死んだこと。
包装ならない道路で飛ばす土ホコリ..口の中では土の臭い..あちこち唾吐く声ペッペッ..
サンクリーム塗らなかった演技者マ・ドンソクは陽光画像にその日夕方2種類腕ぶし色..睡眠もならないで..
次の日非常に赤く熟したスタッフら..
サンクリームで重武装...
お昼は5時サンドイッチ一つで終わり..
次のコース ネルソン・マンデラ ブリッジに移動..
##タクシーに乗ってホテルへ行くジョンウ(チソン)シーン撮影

20090630tesamuseisaku-005.jpg

ホン・ソクチョンの流ちょうな英語駆使
実は梨泰院(イテウォン)英語だよ..

ジミー役を引き受けたソクチョンの台詞は英語が多い。
ところで演技が非常にリアルだ。
休み時間に彼に尋ねてみたところ自分の英語は梨泰院(イテウォン)英語だよ。
ところでここ住民たちが使う英語とアクセントが変に類似..
そのいわく"や梨泰院(イテウォン)で黒人らに英語習ったといったよ..ヒウッヒウッ"

午後2時30分に貧民街初めての撮影が終わった。
市内に戻って,6時30分からヨハネスブルク(略称チョボク:Jo'burg)市内のネルソン・マンデラ ブリッジでタクシーに乗ってホテル行くシーンをクロマキー撮影した。
拾ってきたタクシーはウワー20年はなった車両.
.結局レンタカーに代えたし,車両移動場面はレクカを使うことができなくてクロマキーCGで合成した。

夕方7時30分チョボクにあるヘノプ ヴィレッジに移動した。
ヨハネスブルクには夜に人々が集まって楽しめる‘ヴィレッジ’がいろいろな所ある。

8時30分にレセディ民俗の村(Lesedi African Lodge & Cultural Village)で戦闘警察と共演撮影をした。
伝統舞踊と傭兵に会うシーンをおしたのに今日明け方5時30分から始まった撮影が明け方1時近くの12時30分になって終わった。
宿舎までは1時間半を車に乗ってまた行かなければならない。

#苗字は"徹夜"でニックネームは"マジンガー"

俳優らが笑い話の声でユ・チョリョン監督を“徹夜”と呼ぶ。
夜中睡眠もなしで熱心に撮影する意だ。
何と21時間日程.
人を捕らえる日程。(一日7時間勤務ならば,3日分仕事をしたことだ).
演技者マ・ドンソクがユ監督ニックネームがそれで苗字は"徹夜"だよ。
非常に適切な答だ。
また,,撮影監督が度々"マジンガー" "マジンガー"だよ..知って見ると"力強く天下壮士鋳鉄で作った人..."
直ちにユ・チョリョン監督のニックネームなんだよ。

初日からとてもぎっしりだ.
一日だけで疲れてしまったようだ。
ユ監督は本当に‘マジンガー’というニックネームがつくべき程であったようだ。



読み応えありましたでしょう?
徹夜...マジンガーである監督から...どんな指示が出されて...どのように撮影されているか...
本当に気の入った素晴らしい作品となるような気がします^^

明日予定されていた制作発表会なのですが公式発表は今朝現在のところまだ出ておりませんが
7月7日に変更になったという情報があります。
放送前日というぎりぎりなところですが...
きっと良いコンテンツを用意して臨んでくれることと思います^^
そちらも期待して待っていたいと思います@^^@

テーマ:太陽を飲み込め - ジャンル:テレビ・ラジオ


















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